針江
とても気持ちの良い話をきかせてもらいました。
私は消費者として、野菜を作っている人から直接買うのが、好きなのです。
作っている人がいるのだということは、頭では分かっているんですが、
実際会ってみると、しっかり認識できて、食べ物が美味しくなる気がするんです。
今回、針江の田んぼで、
土の中から苗を1本抜いて根の部分を見せてもらった。
苗はニョキニョキと、米粒から本当に生えていた。
それを見た瞬間、私の中で何かがカチっと音をたててハマった感じがした。
知ってることのはずなんだけど、本当には知らないこと。
腑に落ちた音かも。
最近ようやく、作っている人がいることを実感できたばかりだったけど、
今度はもっと、「作っている、命を育てている」ということ、
うーん、食べ物が力や命を宿しているということ、っていうのかな...
うまく表現できないなぁ。
作ってくれてる人がいるけど、
人だけじゃなくて、水や太陽や空気、虫、鳥、いろんな環境がお米を作っていて、
もっというと、成長しようとするお米の力が、まず底にあるのだ...!
みたいなことかなぁ、なんかストンと落ちてきました。
嬉しかったのは、私たちも、誰が作っているのか知った方が美味しく感じるけど、
作り手さんも、誰が食べてくれるのか見えるほうが、がんばって作れるんだと話してくれたこと。
そこにあるのは、やっぱり「気持ち」のやりとりなんだなぁ。
物をお金で買うのは、本当に便利。
でもそれだけじゃなくて、割り切れない「心」ってものが付いてくると、
確かにめんどくさいかもしれないけど、より素敵。
なんてことを考えてたときに、
藤本さんの「ほんとうのニッポンに出会う旅」を読んだ。
その中に『北海道「物々こうかんしてみる」の旅』って章がある。
そこでの藤本さんの疑問とか、モヤモヤとか、同意できるところが色々あって、
それをずいぶん前に感じていた藤本さんってすごいなぁと思いました。
そして、すぐに「いや、すごいんじゃないな」と思い直した。
気持ちのこととかって、暑苦しくて、いつでも誰でもが受け入れることができるものじゃない。
必要な時、納得出来る時、沁み渡る時って、いつもじゃない。
だけど、それが必要なときって、きっとある。
近頃、ほんとにモヤモヤしているんだけど、
私が1番欲しいものって、気持ちのやり取りなのだと思った。
思いやる気持ち。
わたしの思いを想像してみてもらいたいんだ。
だけど、それは欲しいと思って手に入るものではない。
人がどういう行動を選ぶかなんて、私には決められない。
だったら。
だったら、人にしてもらいたいことを私はする。
それが回り回って、いつか帰ってくるかもしれない。
分からないけど。
人は人と繋がっている。
イヤな気持ちも繋がってまわりまわって帰ってきちゃう。
さぁ、どうしよう。
どうやったら、分かってもらえるかしら。
話がとても飛躍しちゃったけれど、
今夜のEXPO「土井印」で、のんきぃふぁーむ石津さんの
インタビューの模様をオンエアしまーす。
日本家屋のいろりを囲んで、土鍋で炊きたてのごはんをごちそうしてもらいました!
冷や奴と、炭火であぶったお揚げさんも、めちゃ美味しかった。
「土鍋オープン!」の瞬間に胸躍らせカメラを構えるディレクター。