こまきっぷ、初めての網走(前編)
8月は、偶然にも利尻に行くのですが、利尻のマタワッカ貝塚から出土したという、彫刻の綺麗なトナカイの角製品のコピーを見ました。利尻の博物館に本物があるそうなので、この夏は、古の都・奈良生まれの私が、北方文化に思いを馳せる夏になりそうです。あんなに歴史苦手やったのになー!
そんなわけで、モヨロ人ってなんなの?って思いつつ網走を訪ねました。
網走といえば、まず思い浮かぶのが「博物館 網走監獄」ですよね。私ここで予想外に胸打たれました。。。重要文化財にも指定されている、昔使われていた建物を、そのまま移築して、展示しています。ちなみに、元あった場所には、今も網走刑務所があります。監獄と呼ばれていた頃から、刑務所になった今まで、ずっと同じ場所にあるそうです。網走には刑が重い人が送られるイメージがありますが、今は刑期が長い人は網走刑務所には収容されないんだそうです。
1番うしろ土井ね
ご飯を作る係の蝋人形
騒ぎが起きた時など、外からも、どの部屋かすぐわかるように、窓の下に番号が
網走監獄は自給自足を目指していたそう
ご飯を食べる蝋人形に混じってみる
無料ガイドツアーに参加してよかったです
全くの真っ暗になる独房。レンガは網走監獄で作られたもの。
こちら、パンフレットなどで皆さんが良く目にする正門と蝋人形。もちろんこれはコピーで、本物の正門は、今も網走刑務所に(見に行けます)。ちなみに最初は木造だったんですって。その復元が↓こちら。本物は、今は永専寺に移築されています(見に行けます)。
さて、この網走監獄について知らなかったことが多かったです。明治に北海道を開拓したのが、ここに送られた囚人たちなんです。日本はロシアに怯えていたので、一刻も早く開拓する必要があったんですね。その労働は非常に過酷で、たくさんの命が失われたそうです。尊い犠牲の上に、今の北海道の発展がある。
文化財に指定されている建物もたくさんあります。和洋折衷の建物のロマンチックな事。細かいところにもグッときます。好き。何って、これが私設の博物館ってところがまずすごいです。維持するの大変だろうけど、語られるべき歴史が詰まっている貴重な博物館です。
そしてめちゃくちゃ面白かったのが「北海道立 北方民族博物館」。
東はグリーンランドのエスキモーから、西はスカンディナビアのサミまで、広く北方の諸民族の文化と北海道のオホーツク文化を紹介している博物館。衣食住、精神世界…。共通点や違いも分かる。北極を中心に置いた世界地図が象徴的。めちゃくちゃ面白かった。何度でも行きたい!事実、2日目も行こうとしたんだけど、お参りに行くのに道に迷って、タイムアウトしてしまった。網走監獄もガイドツアーに参加したのだけど、こちらでも事前予約制のガイドさんをお願いしました。この方がとても分かりやすくておもしろくて、いろいろ質問してしまって、予定よりもずいぶん長い時間をかけて、一緒に回ってくださいました。感謝です。行くなら、絶対予約したほうがいいですよ!あ〜、また行きたい。
↑
エスキモーのパーカー。今で言うレインウェアみたいなもんだと思うんだけど、野外フェスに行けそうなシャレたデザインですよね。これ、なんとアザラシの腸で作ってるんだって。軽くて防水性に富んでるからカヤックに乗るときなどに使われたそうなんだけど、これがすごく丁寧な縫製方法で、びっくりです。土井家はアパレル家系なもので、常々、洋服の縫い目を見る癖があるんです。要するに丁寧に縫製して、大事に使ってたんだよね。
デザインがおしゃれで、真似したくなるものばかり。毛皮一つとっても、いろんなの生き物の毛皮が、それぞれ適応する服とパーツで使い分けられていて、昔の人の知恵を感じます。そして北方民族って言っても、デザインに北欧っぽいとか中国っぽいとか地域性が現れていて、こうやってみると分かりやすくて興味深い。ずっと見てられる。
アイヌの衣装を着て記念撮影もできるよ。トンコリも持てる。着て持てばよかったなぁ。次行ったら絶対そうしよう(行く気満々)。
そして、気になっていたオホーツク文化についての展示も。6〜11世紀ごろ、サハリンから北海道、千島列島までのオホーツク海沿岸に展開していた文化。網走もバッチリ、オホーツク文化が栄えた地域で、モヨロ貝塚はその遺跡。熊に対して特別な敬意を払っていたらしく、住居から熊の頭蓋骨を祀っていた跡が出てきているんだって。熊をめぐる儀礼は、のちのアイヌ文化にも受け継がれたと考えられているそうです。ムムム〜。面白い。
その「モヨロ貝塚館」にもモチロン。
登呂遺跡と同じ頃に発見されたんですって。この貝塚の発見で大きく歴史の見解が変わったという、大事な遺跡。ざっくり言うと、1300年前の網走に暮らしていた人たち「モヨロ人」の村の跡。本州では古墳時代から奈良時代に当たる頃ですが、旅の準備をするまで全く知らなくて、本当に面白かった。出土した骨を調べるとアイヌとも他のどの民族とも違うんだって!しかも、どこから来てどこへ消えたのか、なぜ?…明らかになっていないことが多すぎるんだって!興奮する!
モヨロ人の住居を復元。広い!
北からの渡来民族であると考えられているモヨロ人の暮らしは、オホーツク文化と呼ばれる独特なもの。埋葬スタイルも独特。どんなものを食べて、どんな風に暮らしていたのかが、発掘された状態で墓地が復元展示されていたり、住居も実物大で再現されていたり、屋外には遺跡を回る遊歩道も作られていて、オホーツク文化の時代からの地続き感がすごいです。私たちは歴史の上にいる。私の故郷、奈良の飛鳥あたりと、この感覚は似てる。
頭に壷をかぶせる形で埋葬されているんですよ。みんな頭は北西むいてる。そっちから渡来したんじゃないか説も。住居の中に熊の骨をたくさん重ねて祀っていた跡があるそうです。熊の形に作ったものや模様、水鳥の模様、海獣の模様など、動物信仰があったようです。
海獣狩猟民族、要するにアザラシとかオットセイとか海の獣を捕まえて食べていたんですよね。みんな右手で大きい槍とか使ってたから、腱鞘炎の跡があるらしい。大変やったんやなぁ。
入り口には、発掘された熊の頭部像。モヨロ人の熊への特別な信仰心。オホーツク文化では最も尊い存在が熊だったとか。入る前には可愛く思えてたけど、見学した後は、なんだか有難く感じました。感化されやすい私。
あ、私ね、博物館とか蝋人形とか、怖くて苦手なんですよね。人が少なそうで、いちばんビビっていた「モヨロ貝塚館」は館内が明るくてホッとしました。
そして今回、絶対連れて帰りたかったのが、招福の使者「セワポロロ」。
北方民族博物館にも展示されていましたが、北方民族ウィルタの人たちが作っていたものが原型。モヨロ貝塚を発見した考古学者の米村喜男衛からの提案で、大広民芸店で作られ始めた木彫りの像です。戦後カラフトから渡ってきたウィルタの人と交流があった米村さんは、ウィルタの木像の作り手がいなくなることを惜しんで、木彫りの人形以外の部分でもウィルタの人たちへの関心が高く、市の観光協会が手がける「オロチョンの火祭り」でシャーマン役を務めた大広民芸店に相談したそうです。いろいろな思いがこもった「セワポロロ」は、今回の旅で連れて帰るにはピッタリだと思いました。
大きな木材を保管して乾燥させ、小さくカットして彫刻して販売する、全部の工程をここで行っていらっしゃるそうです。どんな風に作業されているのか、少しだけ見せてくださいました。感激です。セワポロロに会えて、直接いろんなお話も伺えただけでも大満足だったのに、感激。ありがとうございました。
↑
こちらは、北方民族博物館に展示されていたウィルタの木彫りの人形。これをモデルにしたんですねぇ。
初日の網走での勉強は、「いわゆる観光なんてつまらない」っていう私の思い込みを覆しました。どんな風に説明して教えてもらえるかで全然違う!行く博物館、行く博物館、全部面白くて、思いがけず、すごく心が揺さぶられました。もっと時間が欲しかったくらいです。後編へ続く!