これはライブレポートなんかじゃない。個人的な思いが投影された日記です。
今年は本当に何が起きているのかと思うほど、「まさか」な嬉しい音楽事情。初恋の嵐ニューアルバム、小沢健二ツアー、フィッシュマンズツアー。今年に入って悲鳴をあげた嬉しいニュースたち。7月下旬にして全部終わってしまった。きっと抜け殻のようになると思っていた。だけど。余韻がすごい。魔法にかかったままというべきか。なぜ。
小沢健二のライブでも、フィッシュマンズのライブでも思ったのは、音楽は聴くことで、その人の中で育てることが出来るのだということ。演奏する人にとっては演奏することで育つのかもしれないけど、そちらの立場のことは私にはわからない。だけどリスナーとしては、生きていく上で色々な場面で聴くことで、本当に育ててきたのだと思った。大好きの域を超えて、人生だなと思った。この感動は生きてきた証だと思った。年を重ねるごとに、音楽は、色あせるどころか輝きを増していく気がする。
超個人的な心の中のお話。
どんなに美しい瞬間も素敵な今も、永遠に続くわけじゃない。次のページへと、ノートをめくり続ける。心の奥の火が消えないように。光、祈り、灯り、そんなものから希望をなんとか絞り出して。かつて、小沢健二の音楽に言葉に、私は背中を押してもらったけど、ずいぶん大人になってライブで触れた新曲に、また背中を押してもらった気がする。過去の曲たちの「その後」を感じる曲があって、祈ることを思い出した。願いを胸に刻むこと。でも、もう祈ってるだけじゃダメで、しっかり私たちが選んでいかないといけない現実。あの日の誓いは忘れていないか?歩き出すこと、祈ること、強く心に決めること。固執するのではなく柔軟に。「いちごジャム」と「ベーコン」が同じお皿に乗っているような世界を実現できたらいいな。大きな世界は私一人で出来ることは少ないけど、まずは身の回りの小さなチームから。みんなが1つになんてなれないけど、共存して引き立て合い、よくしていくことは出来るはず。
粘り強さと執着は紙一重だと思う。難しい。フィッシュマンズは茂木欣一さん1人になった時(間違いがあったらすみません)、それでも自分はフィッシュマンズなのだと、決してフィッシュマンズであることを辞めなかった。その気持ちを胸に音楽活動を続けてきた先に、今のフィッシュマンズがあるのだということ。今回のツアーに参加したメンバーの覚悟についても感動した。本当のところって分からないけど、きっと自分がフィッシュマンズなんだという覚悟があるのだろうなと思った。見ていてサポートっていう言葉が似合わないなって思った。そういう所にも、とにかく感動した。もちろん演奏も照明も素晴らしかった。こんな体験は滅多に出来ない。超個人的な話です。ライブレポートなんかじゃない。個人の気持ちが多いに投影された、日記ですから。
音楽が仕事の道具になって15年。私、もうそんなに音楽が好きじゃないのかもしれない、なんて思って最近凹むことが多い。ちょっと悩んでた。けど、そんなこともないなと思ってホッとした。まだ無邪気に音楽に触れることが出来る。
楽しみにしていた奇跡のようなライブが終わってしまったけど、抜け殻になっていない。それもこれも、この音楽は私の中で育ててきたもので、音楽体験は引き続き私の中にいる。これからも育てていく。だから抜け殻になるわけがないのだった。音楽があってよかった。音楽が好きでよかった。