わたしの、わが星。
↑ままごと、口ロロ、なごやゆりさんと。
劇団ままごと「わが星」を見るために小豆島に行ってきた。そう、また小豆島に行ってきた。もう10日ほど経ったのか。ようやく整理出来てきた。
本当にカオスとしかいいようのない濃い小豆島滞在になりました。距離とコミュニケーションについて感じる・・・というより、ショック療法的に刺激を与えられて、心と頭が混沌として涙目になり、その意味は後からゆっくり考えるという感じ。
「わが星」は、ある団地に住む女の子が主人公。実は彼女は地球でもあって、女の子の一生と地球の一生が入れ替わりながら、お話が同時進行。女の子が話していると思ったら、次の瞬間には彼女は地球として発言してる。
客席との段差も柵も何もないセンターステージには、白くて大きな丸いシートが敷いてあるだけ。暗闇に浮かぶ白いシートの円が、団らんのようにも地球のようにも見えてくる。
そして、ほとんどずっと時報が流れている。または口ロロ「00:00:00」を解体した音楽。セリフは散文になり、ラップになり、歌になる。歌うように喋り、ラップするように会話する。すごく斬新なヒップホップ的ミュージカル?ただし、こうして書くと奇抜だけど、実際に見てみるとそんなことよりも、なんだかグッと腑に落ちるのです。それをきっと、観る人それぞれの「わが星」に持ち帰って、それぞれ解釈して、それぞれの「わが星」を生き続けたらいいのだと思う。
私が印象的だったのは
「光をみるということは、過去を見ているということ」というセリフ。
星にとっての時間と私たちの時間。
私たちにとっての4秒と、星にとっての4秒と。
4秒という時間は長いのか短いのか。
時間と距離とコミュニケーション。
ずっと観たかった舞台。
すごく観るべきタイミングとシチュエーションで観ることが出来たと思う。始まって3分でもう感動して泣いてた。泣きすぎて頭痛くなっちゃった。
会場の小豆島高校体育館から外に出ると、みんな空を見上げる。まっくらな校庭と綺麗な星空。
この地球にうまれてよかったな。この島にやってきてよかったな。この人たちに出会ってよかったな。島のひとたち、東京のひとたち、大阪のひとたち。わりとみんなこの数年でやりとりが始まったばかりで、毎日顔を合わすわけでもないのに、私にとってはもう柔らかく心地よい輪。そんな中に、この夜は昔馴染みの顔も混じり、長い年月の間には連絡を避けて、コミュニケーションがいびつだったた時期もあったのだけど、いま、ここでこうして笑いあえる。
ただいま、という気持ち。
小豆島の女子たちと夜おそくに露天風呂に浸かる。そしてアイスティで部屋飲み。健康的な小豆島の夜遊び。友達の家は防波堤の目の前にある。台風のあとで波があるからか、夜光虫が海の中でキラキラと輝き、空には見たこともないほどの星が輝いていた。生まれて初めて見た天の川。うっすら白く煙ったように光っていて、ほんとに川みたいに見えるんだな。でも。今みている夜空に浮かぶ光は、この瞬間にはもう消滅しているかもしれない星の光。わが星のセリフのとおり、光をみるということは、過去をみているということかもしれない。光をみるということ。いつかの楽しかった出来事。あんなに燃え上がっていたのが幻のようだ。かと思えば。新しいつながりも始まって深まって太くなって。物理的距離と時間と、心理的距離と時間。不思議なのだ。これを縁っていうんだろうけど、そんな単純な言葉で処理したくないような、奇跡的な小さな光が、心の中でじんわりと温かく広がっていく。何度でも泣いてしまう。また「わが星」を思い出す。出会った瞬間から少しづつ離れていく2人、2つの星、「わたし」と「月ちゃん」。
島の色んなところで知り合いにあって、声をかけあう不思議。
去年まで来たこともなかったのに。
出会いの波は止まることがなく。
小豆島に着いて、友達を港でぼんやり待っていると、目の前に白い軽トラが停まって、待っていた相手とは別の友達が降りてきて「お〜い、わが星?」と。彼と一緒に軽トラに乗っていたのが台湾系アメリカ人写真家のパトリックさん。小豆島に滞在して「あるしまに」という写真絵本を作り、その写真の展示を開催中。旧醤油会館というレトロな洋館で、時間が止まったような展示でした。小豆島に住む人が演じている架空のお話写真集。生まれ故郷との関係。見送るひとと見送られるひと。最初からずっと喉元と目の奥が熱かった。半泣きってやつ。
福武ハウスでは、インドネシアや台湾の作家さんの作品を、ご本人に案内してもらう。台湾の青年は、元郵便局という小さな平屋を使って展示していた。郵便局という気持ちのやり取りを手助けしている場所だったということで、気持ちの架け橋がテーマの展示。台湾の言葉も英語も分からない子供たちが集まってお絵描きをしている。オールド台湾な雰囲気にホントに今は2015年の小豆島なのか、不思議な感覚になる。
小豆島の小学生たちと、台湾の写真家。言葉を超えて、子供たちにねだられて強引に始まる鬼ごっこ。神社の鳥居。大木の葉のざわめき。地面に落ちる影の揺らめき。眺めていると少し泣いてしまった。
その夜に「わが星」。カレー屋でパン屋で素麺屋で道端で。とにかくずっと胸がいっぱい。許容範囲を簡単に超えて、そう、カオスとしかいいようのない滞在。
いろんなことがある。
想定外のこともある。
いいことだけじゃなく、ショックなこともある。
覚悟ができていなくても、人生は進む。
わたしを置いて、人生は進む。
泣きながら歩く帰り道もある。
だけど、気付いていないだけで、ちゃんと自分の中身は、
それにむけて整っているのかもしれない。
準備ができたから、いろいろ起こるんじゃないかな。
なんとかなる。
初めてが続くと疲れるけど、初めての私に出会えて、自分にびっくりすることが多い。
それを楽しんでいきたい。
ハッピーデスデイトゥミーといえるように。
いろいろある。
だけど、あぁ、地球に生まれてよかったな。
それぞれの『わが星』は続いているのだ。
現在だけじゃなく、過去に私の周りにいてくれた人も含めて、
みなさん、本当にありがとう。
みなさんが、わたしを作ってくれたんですよね。
ありがとう。
朝活しようって、帰る直前に小豆島カメラちゃんたちとモーニング。
それぞれの仕事にむけ、それぞれのタイミングで「いってきます」「いってらっしゃい」
言うのも言われるのも、とても良い気持ち!
いってきます!
いってらっしゃい!
ただいま!