ぶつぶつ日記

「今回もまた音楽に救われた」という話




6/1。今年はみんなで集まれないFUNKY BIRTHDAYだったけど、りさねむのアイデアで自画像でレディオカリー号に乗りこみました。顔を合わせることがほぼなくなった人もいるんだけど、全員描いてるってことは、ここに来たんだな、確かにいるんだなという安心感があった。自分たちのための壁新聞。

あなたと、ミュージシャンと、音楽そのものとBUDDYでありたい。誠実に。いつでもここにいます。だから、それぞれの心地よい距離感で一緒にいましょう。

月曜日だったので、ガレージもあった。1ヶ月ぶりにスタジオからの放送に戻りました。1ヶ月間、家から生放送をしたことは、すごく貴重な体験になった。スタジオとの距離は感じたけれど、リスナーの皆さんとの距離はなんだか近く感じた。とても不思議でした。夜中に薄暗い家で聞くガレージって我ながら最高だなと思った。心地よい距離感は、その時によって、その人によって違う。それで大丈夫。それがいい。みんな一緒なんて、私には信じられない。
TENDREの家ライブ音源、ホムカミ畳野ちゃんの映画を見てるみたいな弾き語り、素晴らしかった。座談会の皆さんの話も、違う立場の人の話として聞けてとてもよかった。












滑り出し快調に思えた今週なんだけど。

久しぶりにぐちゃぐちゃに泣いた。
木曜日の夜中、満月が近いのだと気づいて、やっぱりなと。
私は満月に弱い。満月の時は、心が不安定になる。水がいっぱい入った大きな容器を抱えているみたいに、傾いた感情が元に戻せない。容器からこぼれた水の上に膝から崩れて、立ち上がれず、水か涙が分からないまま朝を迎える。満月の時は、そんなことも多い。今回の満月は、重かった。生放送の最中に、どんどん気持ちがしおれてきて、滅入ってしまって、もうどうにも立て直せず、言葉が出てこなくなった。こんなになるのは珍しい。多分、ここのところの事件の数々を経て、世の中の多数の人の他人事な言葉を見て、私は苦しかったのだと思う。苦しいとも言えず、悲しいとも言えず、どんどん溜まっていって、容量オーバーしてしまったのだと思う。そして、何に対しても自分の気持ちがうまく落ちてこなくなった。言葉にならないどころか、落ちてこない。絡み合ったまま宙に浮いてる感覚。気持ち悪い。

と思っていたら、裏庭で「ギー」と大きな鳴き声が聞こえた。ねじまき鳥だなって思った。2回鳴いた。3回目は録音しようと思って、勝手口の内側で待ったけど、それきりだった。満月が近いんだと知り、自分の心の状態に気づいた。弱っていることさえ分からなくなってた。どっちかというと、うまくやっていると思っていた。もう泣くしかなかった。自分の無力さに。そうしていると、あの先輩からメールが届いた。いつも、なぜかココというタイミングに抜群の言葉をくれる先輩。いつも突然、ジャストな文字列をくれる。そして眠ることが出来た。

翌日も、ねじまき鳥はもう来なかった。来るのかな、来たら録音したいと思いながら、ライゾマ真鍋さんのDJ配信を聴いた。歌詞の和訳も表示され、よく聴いてきた名曲たちの意味を今更ながら正面から知った。私、知っていたけど知らなかったんだと思った。私は、過去のものだと歴史的な事実なのだと思っていたことが、全然そうじゃなくて現在進行形だったことにショックを受けてる。差別だと気づかずに差別している人が日本にもたくさんいる。システムとして出来上がってしまっている。真鍋さんが整理して流す音楽を通じて、私は自分が何に混乱したり傷付いたりしているのか、心を整理できた。

なぜこんなことになっているのか、わかりやすく説明してくれる動画もみた。なんてことだと思うけど、それでも知ることによって自分の動揺は落ち着いてきた。

藤井風の曲じゃないけど、自分から先に赦すことができたなら、どんなに素晴らしいだろうか。みんながそう思えたら。(風さんが本当に伝えたい内容とは違うかもしれない、私のインスピレーションです、迷惑かけたらごめんない)







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もっと勉強したい。これまでに何が起き、今なお続いているのか。なぜなのか。私が知ったところで世界は変わらないかもしれないけれど、みんなが勉強することで、変わることもあるはず。もう変えないといけない。私たちの世代で断ち切らないといけないことがある。少なくとも、私は勉強することで、自分の頭の中が整理できて、気持ちが落ち着く。






土曜日には「カクバリズムの家祭り」が、日曜日にはトクマルシューゴ企画の「トノフォン(リモート)フェスティバル」が、さらに大阪府による「無観客ライブ配信支援事業」のPRのためのライブ配信もあった。
真鍋さんのDJも含めて、どれもとても前向きに、今だからこそできる「それぞれらしさがある」表現方法を模索していて、それぞれにちゃんと同じ時間と感情を共有できて繋がっている感覚があって、とても感動した。なんて豊かなんだ。いろんな音楽があって、いろんな届け方があって良くて、本当に音楽って素晴らしいなあって、体の芯から思った。これを機に、いろんな表現方法が発展していきそうな気がする。それぞれの個性を活かす方法が。以前のようなライブが復活したとしても、今、発明した物は手放さなくていいと思うから。それもまた楽しみ。そして誰かと自分を比べて、急いで歩幅を合わせる必要はないからね。ゆっくりでもいいから、着実な1歩を踏み出していきたいよね。



正直にいうと、勝手に仲間だと思っているリスナーの皆さんに届いて欲しいので、真剣に考えて、わかりやすく丁寧に選んだ言葉ほど、みんなに素通りされていることにも傷付いている。みんなが好きなのは架空の私なのだなと思う。どうでもいい話をする私しか認めてもらえないんだな。こういうことは今までもあった。そのたびにもう番宣しかツイートするのはやめようって思う。だけど、なにも考えずに、この週末は配信を楽しみながら、反射神経でツイートしてやった。みんながしてるのと同じことをさせてもらった。ツイートももはや仕事なんだけど、仕事じゃなくて遊んでやった。生きている全部が仕事で、しゃべること全部が仕事でしんどい。(って書いたら少し楽になるので、ここでは許して。みんなと同じで仕事がしんどい時もあるっていう愚痴さえ言えない私たち。)


長々と書いたが「今回もまた音楽に救われた」という話。いつも音楽と共にある。誰だって、音楽になれる。心を震わすことで、音楽になれる。あなたはどうですか。お元気ですか。ハウアーユー。以上です。どうぞ。(折坂くんのライブに、かぶれています。)