ぶつぶつ日記

見えないけれどここにあるもの










絶対見たかった谷川俊太郎展。お金を払って言葉を見たんじゃなくて、言葉に対面したときの自分の内面に会いに来たんだな。当たり前のことだけど。改めて。

『詩はお金で売買するものじゃないけど、詩によってもたらされるサムシングは値段がつく。』



















VACANTでは、
sonihouse万平さんのサウンド・ワークショップ「音の背景に耳を澄ます」
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風景と食設計室ホーの朗読と食事の会「見えないものを食べている」



色々感じた1日にトドメを刺すような時間だった。





夜、友達とゲストハウスのカフェバーでご飯を食べながら、
年齢と感性について話し合った。
しっかり年齢を重ねていけば、その年齢だから感じ取れることが増えていく。
しっかり年齢を重ねるというのは、きっと、次々にやってくる人生のモヤモヤにちゃんと向き合うこと。






見えないものを感じる
見えないけれどここにあるものを感じる。

詩を読むってそう。
行間であったり、自分の頭と心と体、要するにここまでの自分の経験を使って、感じること。

ホーの食事と朗読の会もそう。
ここにある食べ物が、ここに来るまでを感じ取って、食べ排泄し自分も地にいつか還ることで、大きな輪に加わっている。



このように。
3月は自分にとって誕生月なので、あれこれと感じること考えることが多い月なのです。今年も、やはり。