うたたねシアター

「あおげば尊し」(2006/02/20 テーマ:POP)

ポップ・ポピュラーを「誰しもが共感できるもの」と解釈してみます。不謹慎だと怒られるかもしれないけど、冠婚葬祭の中で一番ポピュラーなのは、きっと告別式じゃなかろうか。
「あおげば尊し」という映画を紹介します。主人公は、小学校教師のテリー伊藤。末期ガンで余命幾ばくもない父を自宅で看取ろうとしている。父も教師だった。かつては嫌われることを覚悟のうえで、厳しく指導してきた父が衰弱していく様を、ただ何も出来ず見守るしかない苛立ち。一方、学校にいくと生徒達の間では死体写真をインターネットで見る事が流行り出している。小学生には死というものの意味が分からないのだ。だけど「どうして死体の写真をみちゃいけないの?」という小学生の言葉に、自分もはっきりとした理由を言えない。子供というのは本当に残酷なもの。子供の目にさらされると、曖昧な部分に向かい合う他なくなります。死ぬというのはどういうこと?老いるとは?お父さんは必要な物ないのかなというテリー伊藤に、妻である薬師丸ひろ子が言う台詞が、とても印象に残っています。「きっと、何かを欲しいとか、誰かに会いたいとか、そういうのって、すごく体力がいるものなのよ。死ぬときは、そういう気持ちが残らないようにできてるのよ、ちゃんと。」というような内容。最後の告別式のシーンでまた心の中でその台詞が甦りました。人生の長短は人それぞれだけど、実は亡くなる時には色んな事が±ゼロになるのかも。人から受ける喜怒哀楽も与えるそれも。生涯を通して見渡せば全てバランスがとれた±ゼロだ。
とても厳しいことで有名だった小学生の時の恩師を思い出しました。数年前、突然電話をくださったのですが、その声がか弱い老人の声だったので私はショックで、すごくイヤだった。でもこの映画を見て、先生の人生を受け入れてあげられない自分の小ささに気づきました。悲しみでさめざめというのではなく、不思議なくらい穏やかに目頭があつくなる映画です。